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2007年06月05日


ツバメオモト  つばめおもと(燕万年青) ユリ科
山頂へ行く途中に見つけました。名前は、同行したナチュラリストの方々が教えていただきました。
水芭蕉群生地です。山の中に突然開けた湿地帯が、ものすごく広がっています。写真ではわかりにくいかな?天然の岩名も見ることができ、たくさんのマイナスイオンを感じることができました。

利賀川方面からは、国道なのですが通行止めになって通行不可能です。百瀬川方面なら、通行可能ですが4輪駆動で車高が高い車なら問題ないでしょう。


2007年06月05日

水無山1505m登山口です。
水無山山頂での除幕式。
除幕式の後皆さんで記念撮影総勢50名参加でした。ギフチョウなども見ることができました。つづく・・・



2006年05月07日
 ツクチェ村民の生活は日本の戦前の生活で、大変厳しい者であったが遠い異国の友を心から歓迎し、喜んでくれた。そのことに調査団全員心を打たれた。

 厳しい生活の裏には深い信仰の力がある。同じ仏教徒であることが特に短時間でお互いをそう理解させたのかもしれない。毎朝ゴンパ(寺院)に手を合わせる光景が生活となっている。そのゴンパには曼荼羅が描かれている。その曼荼羅を描いたのが当時調査団にカトマンズから同行していたサシ・ドージ・トラチャン氏だった。

 調査団員はその曼荼羅の神秘性と極彩色の中に魅了されていった。
「こんな曼荼羅を利賀でも描ければいい」誰からとも無く発せられた言葉は全員の心の中に響き渡った。

 天候不良の為一日1便のフライトが出来ず、ジョムソンのホテルで疲れ果てる調査団を暖かい人柄のタカリーの皆がもてなす。なかなか帰れないストレスは限界に来ていた。

 ようやく日本に帰国した調査団はツクチェ村で見たヒマラヤの雄大さ、曼荼羅の魅力、何よりも村民の心の豊かさを利賀村民に話した。

 利賀の新しいむらづくりの方向性が決まりだしたのもこの時期だった。

 平成元年8月第2回目の調査交流団が派遣された。担当職員と若手職員4名と氏原教授。村制百周年セレモニーの開催と同時に利賀そばの郷の開村式にツクチェ村村長をはじめとする村民を招聘し、又曼荼羅絵師サシ・ドージトラチャン氏らに滞在頂き曼荼羅を描いていただく準備のための訪問だった。

 


2006年05月06日
 「そばによる村おこし」を合言葉にいよいよ利賀そばの郷建設構想が固まりつつあった昭和62年。建設に向けて中身を考えるとどうしても世界のそば文化の資料を収集する必要があるとしてそば博士信州大学氏原教授の元を尋ね、昭和63年1月8日寒風のネパールへ村長をはじめとする調査団を派遣する。昭和天皇後崩御の知らせをネパールの地で聞くことになるとは。

 平成元年1月11日11時ネパールツクチェ村との友好関係を結び、ネパールでのそば資料を利賀そばの郷に提供していただくこととなった。

 ネパールツクチェ村は標高2400m 人口約800人のチベット文化ば色濃く残る山岳地帯。ネパールの首都カトマンズからは飛行機でポカラ(ネパール第二の都市)を経由し、ジョムソンまで再度飛行機で。その後は徒歩で数時間のところにある。もちろん車などは無い場所にある。
 タカリー族という商業民族が暮らす村で、古くは塩の道として交易で栄えた村だ。そばが主食でそばの原産地の一つであるとされている。

 そばといっても「そばがき」「そば汁」「そばソーセージ」などといった食べ方だが。麺にして食べる文化は無い。

 チベット仏教徒の村で、小さな村の中に4箇所の寺があり、その寺には極彩色の曼荼羅が描かれていた。


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